浜田光夫 研究室

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岡 ななみ
   

 喋り、働き、笑い、たべる ある24時間

1963年7月 近代映画 浜田光夫 特別号より
   


     「僕の24時間」――要するに僕の一日の暮らしを正直に書いてみよう。たまには自分の生活を反省してみて、改めるべきところは改め、良いところはそのまま伸ばしていこう、という僕にとっては、多少面映い魂胆ではある。
     “二十四時間”などと、いささか思わせぶりな題をつけたものだが、一日を二十四時間と殊更に刻んだのも、僕は僕なりに、自分の生活の一時間一時間を貴重なものとして、充実させていきたいというイジラシイ心がけの表れからだ。
     キザな奴だと眉をひそめることなく、僕の殊勝な気持ちを汲んでいただきたい。
     改めるべきところは改め、良いところは伸ばして…などと大見得を切ってしまったが、考えてみれば、僕にはどうも良いところなど見つからない。
     親友(悪友といった方が当っているかも知れないが)の高橋英樹君が、僕に面と向かってはっきり宣言したことがある。
    「お前さんとつき合ってると、足や腰が立たなくなってしまう。しばらく交際をやめとこうや。」
     友人とはいいながら、よくもまあ本人の目の前で言いにくいことを言ったものだと僕はそのとき無性に腹が立った。しかしあとでよく考えてみると、高橋君の「足腰立たなくなる」という表現は、僕達の間柄にぴったり言い当てたもので、たしかに「足腰立たなくなる」――そんな感じである。
     彼にそんなことを言われた当座は「ひどい奴だ、友達甲斐のない男だ。俺の方もゴメンだ」と大憤慨だったが、二、三日たつと、またいつのまにかケロリとして二人でがさごそとんでもない企みをするようになる。
     まあこんな調子で、僕の陰に高橋君あり、彼の傍に僕がいつもくっついているというわけで、僕の生活の一半の責任は、高橋君にも負ってもらわねばと考えている。
     ヒデキ、怒りなさんな、これも、親友という君との友情を信じているからなんだ。だからといってヒデキ、君に甘えているわけじゃない。
     高橋君と僕はこれからも、おそらく三十代、四十代、ことによると、死ぬまで双六道中よろしく、自分達それぞれの人生をひとつずつ上っていくだろう。ただ上って年令をとるばかりじゃいけない。一段ずつ自分達がなんらかの意味で向上していかなければならない。そのためには、ときには自分の生活を反省してみる必要があるんじゃないか――。

    こんな意味から、自分の一日の生活ぶりを、なりふりかまわず書いてみよう。書くことによって、自分の良い点、悪い点、全部はっきりするはず。テレず恥ずかしがらず勇気を出さなければ…。
    ところが、さて、眼がさめ、夜眠るまで思い起こしてみると、案外凡々たる生活をしていることに気がつく。いままで、僕はだいぶワルイことをしているように思っていたが、自分がワルイと思っていることは、むしろこの平凡さにあるのではないか――こんな気がしてきた。
    まず僕の最もスタンダードの一日を振り返ってみる。
    撮影に入っているときは、僕の生活のすべては、仕事のスケジュールに合わせる。セット撮影の場合、たいてい九時開始だから、僕は七時に目覚まし時計のベルで眼を覚ます。
     ベッドの枕許の壁には一週間分のスケジュールが張ってあり、寝る前に翌日の仕事を改めて書き込むことにしてある。いわばこの表は僕の羅針盤、これがないと心細くていけない。
     眼を覚ますと、サイドテーブルに置かれた牛乳をひと飲み、これでようやく頭がはっきり、壁の羅針盤をにらんで、その日一日の予定をもう一度頭の中に叩き込む。
     茶の間へ出てみると、朝の食卓がすっかり用意されている。母親と二人だけの朝食が始まるわけだが、母一人、子一人の僕にとってこの朝食だけは、一日の生活のなかで、最も大切なもの。よほどの事がないかぎり、僕は母といっしょに朝の食卓に向かうことにしている。
     夜の帰宅時間が一定しない僕が、母と落ち着いて話せるのは、一日のうちで、この朝食の時間しかないのだから。……
    この朝食で、前日の僕の行動を総ざらえ。僕自身はいくら大人になったつもりでいても、母親にはいつまでも子供に見えるらしく、夜遅く帰れば帰ったで、彼女はしきりに聞きだそうとする。
     最初は、母の巧みな誘導尋問にひっかかって、ついうかうかとしゃべってしまい。かなりのお叱言を頂戴したものだった。お叱言の原因といったって、たいしたことではなく、仕事が終わればまっすぐ帰ればいいものを、つい何の連絡もせず映画を観たり、喫茶店で音楽を聴いたりしていたからだった。
     もっとも、最近は、いくらか母親もゆるやかになって、ちっとやそっとのことでは驚かなくなっているが、これは僕の大人たることをわかってくれたのか、それともサジを投げてしまったのか、その辺ははっきりしない。
     こうなるとかえって不気味で、僕も彼女の一人息子として大いに自粛しなければならない破目になった。
     たしかに今日この頃、朝の話題はお互いの仕事のことが大部分、母親はタイプ印刷会社をやっているし、僕はむろん映画の話、考えてみると、僕もほんとに成長したものだ。
     三十分から一時間の朝食にしてはいやに時間のかかる食事を終え、一年ほど前月賦でやっと手に入れた愛車ベレルで母親といっしょに出かける。
     途中で母親は降りるわけだが、最近の彼女のセリフは大体決まっている。「じゃ、気をつけて」と言って僕の肩をポンと叩くのがくせ。はじめはちょっとこっちもテレちゃったけれども、この頃は慣れた。「オーケー」とかなんとか手を振って別れる。

     撮影所へ着くと、まず俳優課へ顔を出す。カードを見れば、誰と誰がもう来ているかわかる。撮影用の衣装に着かえ、いつ出番がまわってきてもいいようにメイキャップを施し、さて準備万端ととのったところで、食堂へ出かける。撮影には待ち時間というものがあって、この時間をいかに有効に使うかが俳優家業のキイポイントなのだ。睡眠が不足しているときは、個室のベッドに横になるのもいいし、読書に過すときもあれば、それも億劫のときは、食堂へ出かけ、誰かを掴まえてダベルことにしている。
     ついでながらこのしゃべるということは精神衛生にはずいぶん役立つものらしい。なんとなく気分が滅入っているときは、とにかく誰でもよい、相手を掴まえ大いにしゃべりまくることである。もっとも相手にされた人間には迷惑なことだろうけれども……。

     今日は高橋君もセットのはずなのに、いくら探しても彼の姿がない。スタジオの中に入ってみても、彼の出番ではない。撮影所のどこかにいるはずだと、所内をウロウロしていたところが、ヒデキの奴、スタジオわきの芝生にいとも涼し気な顔をして、大の字になり寝込んでいる。きっと昨夜、真夜中まで残業だったのか、それとも試験がちかくなっているので、ノートの整理でもやったのかな?
    「おい!」
     声をかけたが、身動きもしない。そこで体をゆすってやる。この男、そばで見るといやに頑丈な体格だ。
     うっすらと眼を開けた高橋君、
    「なんだ、君か」
     こう言って、また眼を閉じてしまった。親友がせっかく声をかけてやったのに、ものぐさな男だ。
     強引にひっぱり起して、今夜の約束を思い出させる。今日の仕事は六時に終わるから、すぐ彼の家へ入ってスキ焼きでもつつきながらビールでも飲もうという企みである。
    「ん、そうだったな。すっかり忘れてた」
     これには僕も呆れてしまった。いっしょに夕食を食おうと言ったのは高橋君ではないか、そのとき君のノートも貸してくれと彼は言ったはずなのだ。
     彼にはときどきこんなことがある。呑気なのか、忘れっぽいのか、ちょっととぼけた味をいつも身体のどこかに持っているといった男だ。
     そのうち僕の出番がちかづいてくる。眠そうな彼を芝生の上に置きっぱなしにして、僕はセットに駆け込んだ。
     仕事というものは不思議なものだ。人間を夢中にさせる何かを持っているらしい。
     カメラの前に立つと、僕はすべてを忘れてしまう。しかし、考えてみると、これは当然のことかも知れない。何か雑念があれば、演技に影響する。演技がまずければ、俳優としての僕の生命はオシマイになるのだから……僕も必死にならざるを得ない。
     二時間あまり、何もかも忘れて作品中の人物になり切って、喜んだり悲しんだり笑ったりする。作品中の人物になり切ることがまず大事なのだ。
     ときには、監督さんに叱られることもあれば、誉められることもある。やはり叱られるときは悲しいし、誉められればうれしい。自分のわずかな表情にも、僕は僕のすべてをかけているつもりである。

     昼休み――とたんに二時間あまりの疲れがどっと出る。俳優になりたての頃は、監督さんはじめ諸先輩に教えられたことをなんとかやっていくのに精いっぱいだったが、多少余裕のできてきた最近は、自分で考え、自分でいくらかでも前進しようと努力するから、ひどく疲れる。
     実際こうした仕事は、どこまでいっても際限がないと思う。もっともどんな仕事でもそうかもしれないが……。
     疲れた神経を休めるには、気分の転換が必要だ。つとめて僕は昼休みには仕事のことを頭から追い出して、他愛のないことに熱中する。
     
     何かを食べる――食べることに懸命になるというのは、こうした意味で疲れをいやすのにすごく役立つものだ。食いしんぼうに聞えるけれども、僕はほんとにそうなんだから仕方がない。
     ぼくは大食漢だとからかわれるが、量はそんなに食べやしない。ただ食べる様子がいかにも夢中になっているから、誰かこう言ったのかも知れない。
    「光夫クンの食べ方って、なかなか可愛らしいところあるわネ」――とは吉永小百合君のひやかし半分の言であるが、僕の精神衛生法をわかってもらえないという多少の不満はあるにしても、「可愛らしい」という表現に、まあ我慢しておこう。(女って苦手だよ、どうも姉さんぶるところがあっていけない)
     昼食を食べ終わると、雑誌の仕事。K社の編集のTさんとカメラマンのMさんが待っていてくれる。
    「よう!」
    Mさんが例の悠然たる態度で入ってくる。この人はどんなに忙しくても慌てたことがないらしい。いつもどこ吹く風といった顔つきをして歩いている。
    「今日はグラビアでしたね」
    「うん、そうだよ」とMさん。
    「場所はどこにしよう?」
    「深大寺はどうかな?そばでも食いながら…」
    「僕、もう飯食っちゃったですよ」
    「飯食ったってかまわんさ。そばは食うもんじゃない。ありゃ呑み込むものだよ」
    「そんなこといったって……」
    「大丈夫、大丈夫。君の胃は二重構造だからな」
     こんなことを話しているうちに、僕はいつのまにかK社の車に乗せられ、そのまま深大寺へ…。
     Mさんと話していると、どこか焦点がぼやけているようで頼りなくていけない。しかしカメラマンのピントだけはちゃんとしているから不思議だ。
     この間も、例のピントのぼけた話をしているうちに、Mさんいつのまに撮ったのか、僕のしゃべっている顔を撮ってしまった。我ながら惚れ惚れするほど楽しそうな僕の顔だった。
     K社の仕事が終わると、すぐにセット。撮影の合間に、新聞社のインタビュー。
     あれやこれやでクルクル動いているうちに、高橋君もやってく来る。
     彼もすっかり終わったものと見え、ほっとした表情である。約束どおり彼の家へ行き、彼のお母さんには、
     「今日は僕達が夕飯の支度をしますよ」
    とかなんとかうまいこと言いながら、台所を二人でひっかきまわし、どうやらスキ焼きらしきものを用意する。しかし、男ってものは仕様がないもので、ソースとしょう油を間違えたり、砂糖のつもりで入れたのが、何と味の素だったり、とんでもない失敗をやらかす。その度に、高橋君のお母さんの手をわずらわさなければならないので、お母さんの方も、
    「僕達が夕飯の支度をしますよ」
    というセリフには閉口しているのかも知れない。
     なにはともあれ、二人はすっかり良い気持ちになって鍋を囲む。お母さんは気を利かしてくれたのか、食事が終わるとさっと御自分の部屋へ引き上げてしまうので、僕達は一本ずつのビールに他愛もなく酔っ払い、大言壮語、大きな事を言い合う。これがまたすごく楽しいんだから、どうしようもない。
     これでも飽き足らないと、出かけて近所の喫茶店へ入り込み、「酔いざましにコーヒーを」などと気取ったことを言いながら十時、十一時になるまでねばっている。

    ――とまあ、こんなところが僕の比較的時間に余裕のある生活であるが、撮影が追い込みになってくると、徹夜の連続で、さすがに疲れ果て、家と撮影所やロケ現場とを往復するだけになってくる。
     こんなとき高橋君に遇っても、どちらも気の抜けたような顔をしていて、いつもの元気はまったく失くなっている。
     こう書いてきてみると、僕の生活は、時間的に不規則であっても、一応幸福で平凡なものではある。
     僕は思う。この幸福と平凡さに甘えていてはいけないのだと。いつか必ず俳優にとっては生命取りともなりかねないひとつの壁にぶつかることもあり得る。こんなときの用意に僕はもっともっと勉強し、努力し、苦労しておかなければいけないとは思うが、毎日の忙しさと、面白さにまぎれて、ついうかうかと日を送ることになってしまうのである。
     僕の最もいけないところは、こういった楽天的なところかも知れないと思っている。このままじゃ、たしかにいけない。もっとも、仕事の忙しさが面白いというのは、口はばったいようだが、やはりしあわせというものであろう。
     僕がどんなに夜遅くなっても、母がちゃんと起きて待っていてくれるのには恐縮してしまう。
     仕事でおそくなった時は、意気揚々と母の前に坐り込み、「お茶漬けが食べたい」などと言い出すのであるが、遊んで帰ったときは、「只今」と小さな声、そして、すぐ自分の部屋に入り込んでしまうらしい。
    「お前のおそい時は、仕事かそうでないかは帰ったときの様子を見ればすぐわかる」と母は言うが、なるほどこれでは嘘はつけないわけだ。
     この間、たまたま休みが三日ほど取れたとき、こうした母親を慰労するために、彼女を連れて温泉へ出かけた。
     おそらく生まれてはじめてした親孝行ではないかと自分では考えているが、母の方はそうは受け取っていないのに、この頃になってようやく気がつき、拍子抜けのした思いであった。
    「あら、あたしの慰安のためだったの?」
    などと意外な顔をされたのにはガックリきた。いっしょに温泉に行かないかと僕に言われた母は、きっと僕が疲れたのだろうと思い、僕を連れて行ったつもりでいたのだそうだ。テレくさくて、自分の母親に、
    「お母さん疲れたろ?温泉に連れてってやるよ」
    なんて言えやしないじゃないか。どうもお互いにいたわり合うと、こんな誤解を生じやすい。
     畳の上にベッドと机を置いた和洋折衷の自分の部屋に入って、「さて今日一日の成果は?」と考えてみると、あのシーンではもっとこうすればよかった、もうひとつのシーンではこういう表情をすればよかった、などという後悔ばかり先に立ってきて、いても立ってもいられなくなる、こんなとき僕は、例の楽天性を利用して、「今日は今日、明日という日がまたある」などと呟やき、「エイッ」と声をかけてベッドにもぐり込む。これで一日のケリをつけたつもりである。
     考えてみると、僕の毎日は楽しい。たしかにそうにはちがいないけれども、その奥にはやはり、何かこうしてはいられないという不安がある。
     その不安はいったい何だろう? 人間には皆こういったどこかはっきりしないものがありはしまいか? そして僕も、この未知のものを、これから一生追いかけていくことになるだろう。







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